世界文化遺産・平泉の旅。平和を求めた奥州・藤原氏をご紹介!

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世界文化遺産平泉は仏教、特に浄土思想を現世に表現しようとして奥州・藤原氏三代が寺院や庭園などを建立しました。平安時代に奥州(現・岩手県中央部)で約100年の文化を築いた藤原氏はなぜ現世に浄土を表現しようとしたのか。

三代に続く歴史は「平和な世界」を実現しようと仏の加護を祈り求めています。

この記事では平泉へのアクセス、歴史や観光、世界文化遺産に登録されている施設などをご紹介いたします。その中で、なぜ富や名誉、地位ではなく「平和」を求めたのかその疑問を解決します。

平泉へのアクセスは前日に仙台での宿泊が便利です!

羽生結弦選手原点の地 仙台 | 【公式】仙台観光情報サイト ...

「世界文化遺産・平泉」は岩手県西磐井郡平泉町にあります。地理的には県庁所在地である仙台と盛岡の中間地点にあり、航空、新幹線、在来線、乗り換えでバスなど交通手段は様々あるのです。

しかし、どの地域から平泉観光に向かおうとしても少し不便です。東北自動車道でも移動は可能なのですが、運転時間が長く疲れてしまいます。

私も自動車で行ったことがありますが、腰が重くなってしまって、到着した後の観光に支障が出てしまいました(笑)。

 

そこで私がおススメするのは仙台で宿泊して翌日仙台から「高速バス」を利用するプランです。前日にゆっくりと過ごせるので、「仙台牛タン」を食べて体調を整えながら、余裕がある方は仙台市内の「秋保・作並」などの歴史ある温泉で英気を養って余裕を持って出発することが出来るのです。

仙台→平泉・金色堂・高速乗り合いバス(仙台~平泉線)

平泉の手前のJR東北新幹線・東北本線在来線の「一ノ関駅」に行くバスも何便もあるのですが、仙台駅前からバス一本で平泉まで行く方が乗り換えもなく便利です。東日本急行。

・仙台駅前 9:00発 → 平泉       10:50着   ・仙台駅前 10 :00発  → 平泉        11:50着                ・平泉     12:40発   →    仙台駅前  14:30着 ・平泉   15:10発 → 仙台駅前 17:10着

藤原氏・三代が望んだのは戦争ではなく平和。中尊寺と金色堂

奥州・藤原氏の初代・清衡(きよひら)は度重なる戦火の中で育ち成長しました。幼少期より他の豪族たちとの争いや兄弟の裏切りによって心身ともに傷つきながら生きてきたのです。

教科書で習う「前九年の役」後、清衡は敵であった清原家での生活を強いられました。思春期、青年期を肩身の狭い思いをして過ごさなければならなかった清衡は、その多感な時期に「争いでは何も解決せず、次の争いを生み出すだけだ。平和こそが大切なのだ」と実感したのでありましょう。

 

争いによって田畑は荒らされ、罪のない土地の人々まで巻き込まれて家族を失う。権力を得ようと親子、兄弟が傷つけあう世の中。そこには平和が無い。

清衡自身も「後三年の役」の後、抗争で自身の妻子を殺害されてしまう。自分が狙われたのに隠れていて、妻子を失ってしまったのである。清衡の平和の希求は頂点に達していました。

 

32歳の時に生母の出身地であった奥六郡(岩手県中央部)の長となった清衡は、奥州の政治の中心地を平泉に移そうと立案。40歳頃に平泉を居住地にして、奥州を平和的に導いていた。

京都に次ぐといわれる文化を平泉に打ち立て、仏教の浄土思想を求めて金色堂をはじめとする、多大な寺院や浄土庭園を造営していった。そればかりではなく、平泉は清衡の政治手腕によって経済的にも軍事的にも巨大で平和な都市となっていたのである。

 

奥州17万騎と称された軍事力をもってすれば当時の源氏・平家の争いすら治めて、奥州・藤原家が日本の政治、権力の第一人者となることも不可能ではなかったと思われる。しばしば朝廷が清衡に勅書を渡して平泉を利用しようとしていたことからも伺える藤原家の実力であった。

しかし、三代続く藤原家はその実力がありながらも決して覇権を求めなかった。彼らは初代清衡の遺志を継いで、ひたすらに「平和」を求め続けていた。

なぜ清衡は力があったのに権力を求めなかったのか、という疑問はそれ以上に清衡が「戦争ではなく平和」を望んだことが回答である。100年もの平和を平泉に実現したのは「争いは何も生まない」ことを自身の半生を通して悟っていたからなのであろう。

 

清衡が存命中には誰も平泉に手を出せなかった。源平も朝廷も。3代秀衡が亡くなってから頼朝が覇権のために平泉を滅ぼすが、結局権力にしがみ付いていた鎌倉幕府は良い国を作れなかったのである。

平泉の象徴的建造物である、清衡が建てた「中尊寺」の落慶供養祈願文は、清衡自らの書で「・・・戦乱で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方なく慰め、みちのく、といわれ、辺境とされた東北地方に、仏国土を建設する・・・」というものであった。

 

ここにも清衡の武力や権力で人を支配するのではない「争わない」決意が読み取れるのである。多くの人間が権力や地位を求めるのに対して、何故清衡は平和を望んだのか、という疑問は仏国土を作り人々に差別なく平和をもたらしたいという清衡の宿願に回答があり、事実実現していたのである。

まとめ・平泉・世界文化遺産のご紹介

藤原清衡が何故栄誉ではなく平和を望み、権力者にありがちな覇権ではなく人々の平安を求めたのかという疑問は解決したことと思います。まとめとして、藤原氏が建立した「世界文化遺産」をご紹介します。

現在も藤原家は中尊寺内の金色堂の中で平和を祈り続けながら眠っています。皆さんも一度は平泉に訪れ、平和思想を感じていただけたらと思います。

 

「平泉の文化遺産」 2011年6月に登録

中尊寺・・金色堂に藤原3代(清衡・基衡・秀衡のご遺体と4代泰衡の首級が納められています)        毛越寺・・2代基衡が着手した。浄土庭園はまさに仏国土の浄土思想を表すこの世の浄土です   観自在王院跡・・2代基衡の妻が建立したと伝えられている。この池も浄土思想を表している    無量光院跡・・3代秀衡が建立。京都の鳳凰堂を模して一回り大きく造られていた        金鶏山・・平泉の中心にある小高い山。山頂から平泉のすべてが見渡せる。聖なる山である
 
 
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