マタイさんが伝えている聖書の言葉から、キリストの説教集の断片が届きました。前回、神のさまへの祈りの仕方を教えてくれたマタイさんですが、今回の手紙は私も好きな個所で、まりストからの招きが伝えられている手紙です。
11章のこんな手紙です。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
マタイ福音書・キリストからの招き
神の子であるキリストが、自分のもとに来て生きるように勧めている言葉です。キリストと共に生きるということは、神と共に生きるということと同意義ですので、とても大切な個所です。
私たちは、日々の生活の中で様々な「疲れ」を感じますよね。身体の疲れであったり、心の疲れであったり。身体の疲れは睡眠によって回復しますが、なかなか心の疲れは回復しにくいものですよねぇ。
ただてさえ、生きていることだけで「疲れ」を感じる方も多い今の社会。あらためて今回のお手紙を受け取ることはとても大切な事だと思います。
身体的な痛みや苦しみ、辛さ。精神的な孤独感や人生へのむなしさ。私たちは日々、いろいろな痛みの中で生きています。
叫びたくなるようなつらさを抱えながら、悶々と布団の中で孤独感と向き合っている私たちです。私も布団を掻きむしって孤独な叫びをあげていたことがあります。
あなただけが、寂しい思い、辛い思い、孤独感を持っているのではありません。私もそうだったように、多くの人々が誰にも言わずに、誰にも言えずに叫んでいるのです。
「何とかして欲しい」「人生を変えたい」「誰か・・・。」と。
そんな時、私はマタイさんからの手紙を受け取りました。今回の箇所です。衝撃を受けました。聖書は救いのことばが書かれていると、聞いてはいたけれど。本当なんだと。
マタイ福音書・疲れた者、重荷を負う者
この世に生きている限り、私たちはなにがしかの事で疲れます。自分の事であったり、家族の事であったり、世間の事であったり、仕事の事であったり。
その疲れが軽いものであれば、リフレッシュなどで回復しますが、そうではないこともありますよね。疲れ方は人それぞれですが、みんな疲れます。生きていることが嫌になることもあります。
マタイさんの手紙で「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」とキリストは語っています。
ここでとても大切なのはこのキリストの言葉なのです。キリストは「身をキレイにしてから」とか「罪を清めてから」とか、「ふさわしいものになってから」などという条件を何も付けていないことです。
疲れた者は私の所に来なさい!そのままでいいから。疲れたまま私に従いなさい!
人生の重荷を持っている人も、私の所に来なさい!抱えたままで良いんだから。頑張らなくていいんだから、そのままのあなたでいいから、私の所に来なさいよ!! 休ませてあげるから!!
と語っているのです。弱さ、みじめさ、不安、孤独、劣等感。様々なものを私たちは「重荷」として抱えて生活を過ごしています。
そんな重荷をキリストに委ねようと思ったとき、私はとても楽になれました。自分だけで頑張らなくていいんだ!「来なさい!」と呼びかけられているキリストに「ついていこう!」と思いましたよ!
あなたもそのままでいいんです。疲れたままで、重荷を背負ったままで、マタイさんの手紙を受け取りましょう。 そして、キリストに従っていきましょう!!
マタイ福音書・キリストの軛(くびき)とは?
キリストはこのことばの後、最近は日本語で使われない「くびき」ということばを語ります。昔の日本でも使われていた農耕用具です。
畑などを耕す時に2頭の牛や馬をペアにして耕作する時に両方の牛馬の首にはめて動きを整えるものです。1頭の牛だったら勝手に動いて、作業がはかどりません。
2頭ならばパワーが倍増しますが、片方が暴走したら困ります。「くびき」を付けることで両方の牛馬の動きが調整されるのです。つながっているので、片方は暴走できないのです。
ここに大きな意味があります。私たちが自分の思いだけで生きるのではなく、キリストと「くびき」を共にして生きる日々だったら・・・。
キリストが重荷を背負ってくださり、くびきによって歩む道を真っすぐにしてくれる。「私」だけが暴走することなく、悲しみも、孤独感も、不安も、寂しさもキリストが同じ「くびき」のもとで共に歩んでくれる!
これほどの安心があるでしょうか。神が共にいてくださる(インマヌエル)は事実なのです。マタイさんはこのことを伝えたくて私たちに速達を送ってくれました。
マタイ福音書・まとめ
「そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」とキリストは語ります。
自分の辛さや痛み、悲しさや孤独感をキリストに委ねて、キリストと「くびき」を共にして生きていくときにこそ、私たちは与えられた自分だけの人生に「安らぎ」を得られるのです。
「自力」で修業をして悟りを開くのではありません。キリストへの「他力」によって私たちは人生を豊かに生きていくことができるのです。
私もそうでした。一緒にあなたと共にキリストの道を歩んでいきたいです。あなたも私も同じ人間。神さまに任せて生きていきましょうよ!
- マタイさんからの速達③・・・https://kim-kuni.com/matai3/
- マタイさんからの速達②・・・https://kim-kuni.com/matai2/
- マタイさんからの速達①・・・https://kim-kuni.com/mikotoba/
- 新共同訳聖書・マタイによる福音・・・http://www.yoyoue.jpn.org/bible/mat.htm
スポンサードリンク