日本は温泉の島です。古代から坂上田村麻呂を始め、多くの朝廷や武将が温泉を愛し、もろ肌を脱いで、側近と湯に浸かりこの国の将来を語り合ってきた場でもあります。
著名人ばかりではなく、温泉地に近い地元の方々は田植えが終わった後、収穫の後など、折に触れて温泉に湯治に出かけ、心身を休めて英気を養ったという記録があります。
現代においても私たちにとって温泉は日常生活から離れて、心身をリフレッシュさせてくれる「癒しの場」であり、「憩いの場」となっていますね。
この記事では激動の時代である「戦国時代」に特に温泉を好んだ3人の武将にスポットを当てて、なぜ彼らはしばしば城を空っぽにしてまで「温泉」に出かけたのか?という疑問を解消します。
皆さんもお近くでしたら、武将が愛した温泉に出かけてみて下さい。今よりももっと武将と温泉が好きになることと思いますし、彼らが描いた将来像を追憶する観光が出来ますよ。
温泉・武将たちも時々訪れた?
戦国武将たちにとって温泉はなくてはならない存在でした。まず第一には乱世の世にあって温泉は「治療の場」だったからです。病院も薬局もない時代、彼らは温泉に浸ることで傷をいやし、活力を養っていたのです。
野戦病院のイメージです。激戦の後、城に戻る前に近隣の温泉に立ち寄っていたり、次の戦いに備えて体を自然の恵みでメンテナンスしていたのです。
栄養を摂って、湯に浸かり、しっかり熟睡して心身の英気を充満させていたものと思われます。しばし城を留守にしてでも温泉地に出かけていたのは、その必要性を認識していたからに他なりません。
もちろん、城主が留守であると近隣に伝わっては攻めてこられる恐れがあるので、重臣たちのみを連れて少人数で出かけたのでしょう。
また、当時は城の内部にも間者(他藩からのスパイ)が紛れ込んでいることは十分に考えられますので、間者のいないところで重大な会議をする必要もあり、場所を温泉地にしていたものと考えられます。
なぜ城を空っぽにしてまで出かけていたのか、という疑問はこのように理解でき解消されます。ですので、温泉を愛してもいましたが、時には親族の裏切りなどもあった時代、場所を変えて内密に会議をする必要性があったのです。
温泉・3人の名将も愛する温泉があった
温泉と言っても、現代とは事情が当然違います。観光バスが連れて行ってくれるわけではなく、道路が整備されているわけでもありません。少人数のグループはもっぱら「馬」が交通手段でした。
美味しい旅館料理もなく、地元で採れた山菜、熊肉、イノシシ肉を煮込んだ鍋。フカフカのベッドが無いので山小屋のような温泉地ではゴザの上で眠っていたようです。
殿様はさすがに多少は豪華だったかもしれませんが、他の重臣たちとさほど違いは無かったでしょう。「温泉にゆったりと浸る」というのが何よりのご馳走でした。
伊達政宗が愛した温泉
上杉謙信が愛した温泉
武田信玄が愛した温泉
温泉・まとめ
武将たちが温泉を愛していたのは、のんびりできるからという単純な理由だけではなく、激戦の傷をいやすためであり、重大な藩政の会議の場としても活用していたのです。
戦をどうするか、藩をどのように運営していくのか。ときにはゆったりと傷をいやしたこともあったのでしょうが、武将たちには立ち止まることは許されない時代でした。
私たちもそんな武将の思いに触れる温泉観光をしてみましょう。好きな武将ゆかりの温泉に浸かり、自分の歩みを振り返ることも大切です。武将が何かを語りかけてくれるかもしれません。
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