2021年9月12日に初日を迎える「大相撲九州場所」。第73代の新横綱として土俵に上がる照ノ富士は新横綱として偉大な記録に挑戦することなります。
この記事では新横綱・照ノ富士が挑もうとしている記録と、これまでの「力士・照ノ富士」の歩みを振り返りたいと思います。
新横綱としての優勝は過去4人だけ
照ノ富士が挑もうとしている大記録は「新横綱としての優勝」であります。
ここの7場所で3度も優勝し、抜群の安定感を途強さをもって横綱のへの昇進を決めた照ノ富士ですが、これまでの数十人の横綱たちがそうであったように「新横綱」としてのプレッシャーが重くのしかかっていることと思います。
年6場所制となってから(1958年以降)、新横綱として優勝したのはなんと4人だけ。(平成以降では2人だけ)しか達成していない偉大な記録なのである。
「大鵬・陸の里・貴乃花・稀勢の里」。照ノ富士には5人目の「新横綱・優勝」という偉業が掛かっています。この記録は達成できるるのでしょうか?海外出身の横綱として初の大記録です。
記録達成へのプラス要素
- 現役力士の中で、最も安定した成績を保っており、今場所も好調
- 最大のライバル横綱白鵬が所属部屋の感染症の影響で休場する
- モンゴル出身のどの横綱も達成できなかったことに挑戦できる
- 大相撲のほとんどの記録を持っている白鵬すら達成できなかった
記録達成へのマイナス要素
- 新横綱としての重圧(プレッシャー)
- 独り横綱として「綱の責任」が照ノ富士1人に集中してしまう
- 場所前の恒例行事である「明治神宮での一連の行事」が非公開であった
- 夏巡業はオリンピック開催のために中止となった
- 合同稽古も自粛のため、他の部屋の強い力士と稽古をしていない
- つまり、観客の前で土俵入りを披露できていない。観衆慣れしていない
- 膝に爆弾を抱えながら「化粧まわしと綱」(10kg以上)での土俵入りは重労働
新横綱・照ノ富士の挫折
照ノ富士は力士人生において大きな挫折を味わっている。
順調に大関まで昇進したものの、27年秋場所で右膝の靭帯を断裂するなど、両ひざを痛めそれは今でも爆弾となっています。
同時期に糖尿病・肝炎・腎臓結石などの病気も患い、次期横綱と呼ばれていた力士は、本来の力を出せなくなってた。
29年に秋場所で大関陥落が決まると、あれよあれよと番付を下げ序二段まで転げ落ちてしまった。
ちなみに序二段とは幕下よりも格下で、序列でいえば下から二番目。元大関がここまで番付を下げて相撲を取っていたのも稀有な事である。
下まで落ちたとき、照ノ富士は元付き人であった中板さん(引退)と日夜研究をしていたそうである。
照ノ富士「俺、どうっすかね。もう無理っすかね」と弱音を漏らし、気持ちの落ち込みは深刻な状態であったという。
それでも心身ともに衰弱していた照ノ富士は勝利にはつながらない。
中板さんは弟弟子の顔から覇気が失われていくのを感じ「やれば絶対できるから」と鼓舞し続けてきたという。
照ノ富士審も自分の相撲に自信が持てなくなり、師匠の伊勢ケ浜親方に5回も6回も「引退」を申し出ている。
親方も苦しかったであろうが、照ノ富士の本来の強さを誰よりも理解している親方は何とか説得して照ノ富士を踏みとどまらせた。
この経緯を知っているファンは、照ノ富士が復活優勝をした時に、審判部長であった親方から優勝旗を受け取るシーンで涙したものである。
新横綱・照ノ富士の歩み
<伊勢ケ浜親方と照ノ富士>
ケガや病気が回復してくるにつれて、照ノ富士の番付も本来の力量通りに上がっていった。
精神的な苦悩と身体のケガ・病気で4場所休場も経験した照ノ富士は親方と周囲の仲間たちの激励もあって、体調が戻ってきたのである。
体調が回復してくると心もポジティブになり『もう一回。どこまで通用するの試したい』という気持ちになってきた。
復調してきた照ノ富士は駆け足で番付を駆け上った。
大関復活を決めた優勝の後のインタビューで、まず四方に礼をしてからインタビューに臨んだ。
「(綱取りについて聞かれると)なりたいからと言ってなれるものでもないし・・・一生懸命頑張って、最後まで自分の力を絞りましたと、胸を張って歩きたいです」と語った。
挫折して再び栄光を掴んだ者だからいえる言葉でしょう。挫折したままの者は「胸を張って」自分の道を歩くことはできない。
元居た場所(大関)に戻っての優勝だけに、言葉にとても重さがあります。しかし、大関に戻ったから照ノ富士の相撲が完結したのではありません。
綱取りの場所は白鵬が久しぶりに土俵に上がりました。
モンゴルの先輩として、横綱の先輩として白鵬に勝って綱取りを決めたかったのですが、千秋楽に全勝同士で対戦し負けてしまいました。
けれどもここまでの抜群の安定した成績と横綱としての力量にふさわしいと判断した相撲協会は、満場一致で照ノ富士を「横綱に推挙」。
これを受けた照ノ富士は第73代横綱となり、この秋場所「新横綱として」土俵に上がります。そしてかつて4人しか達成していない「新横綱・優勝」という偉業に挑戦します。
まとめ
照ノ富士の挫折と、横綱昇進までの歩みについてお伝えしました。新横綱は昇進を伝える使者への口上で。『不動心』を心がけ、横綱の品格、力量の向上に努めます。と決意を述べています。
この言葉通りに変わらぬ強い精神力で、ひたむきに相撲を取り続ければ偉大な記録も達成できることでしょう。
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